日 時
|
事故名称
|
事故場所
|
船籍船種
|
流出量
|
事故概要
|
1965年(昭40)
5月23日
07:10
|
ヘイムバード号岸壁衝突
|
室蘭港内
|
ノルウェー、タンカー、35,355総トン
|
|
原油27,283KLを積載し入港着岸作業中、操船ミスで岸壁に衝突し、原油が流出、直後に引火爆発し、28日間にわたって燃え続けた。
|
1967年(昭42)
3月18日
08:30
|
トリ−キャニオン号座礁
|
ランズエンド沖(英国)
|
リベリア、タンカー、118,285DWT
|
|
ペルシャ湾から英国向け航行中、操船ミスにより座礁、積荷約93,000KLが流出し英国南西海岸及びフランス北西岸一帯の延べ約300kmが汚染された。同船は、残存する油の流出を止める目的で、英空軍により破壊。
|
1971年(昭46)
11月30日
16:50
|
ジュリアナ号座礁
|
新潟港外
|
リベリア、タンカー、11,684総トン
|
オマーン原油 7,200KL
|
荒天錨泊中、風浪に圧流されて座礁、船体が二分されて積荷の原油流出。
|
1974年(昭49)
11月9日
|
第10雄洋丸衝突
|
浦賀水道 中の瀬航路北口
|
日本、タンカー、43,723総トン
|
|
川崎向け航行中、君津から室蘭向け出航中のパシフィック・アリス号(10,874トン、リベリア、貨物船)と衝突炎上した。
|
1974年(昭49)
12月18日
|
三菱石油水島製油所流出油事故
|
水島港
|
|
重油 7,500〜9,500KL
|
重油タンク底板亀裂により、重油が海上に流出し、備讃瀬戸及び播磨灘南部海域に拡散した。
|
1978年(昭53)
|
アモコ・カディス号座礁
|
ブルターニュ沖(仏)
|
リベリア、タンカー、228,513DWT
|
|
アラビア湾から英国向け、原油約260,000KLを積載航行中、舵故障により約12時間漂流したのち暗礁に乗り上げ座礁。荒天のため船体が3分割に破断し、積荷全量が海上流出、海岸線が400kmにわたって汚染された。ムース化した漂流油の回収に約2ヶ月、漂着油の除去・処理・処分に約6ヶ月を要した。
|
1978年(昭53)
6月12日
|
東北石油仙台製油所流出油事故
|
塩釜港
|
|
|
17:15発生した「宮城県沖地震」M7.4により、重油タンク2基及び軽油タンク1基に亀裂を生じ、推定2,900KLが海上に流出。回収はほぼ成功。
|
1989年(平元)
3月24日
11:51
|
エクソン・バルディズ号座礁
|
アラスカ州バルディーズ港沖ブライリーフ(米国)
|
米国、タンカー、214,861DWT
|
|
00:30バルディーズ港からカリフォルニア州ロングビーチ向けノーススロープ原油約200,000KLを積載航行中、操船ミスによりバルディーズ港の南西22マイルに位置するプリンス・ウイリアム海峡のブライ暗礁に乗り上げ座礁し、タンク11個中8個を破損、5時間で積荷の約20%の41,000KLが流出した。流出油は、アラスカの海岸線1,100マイルに影響を与え、米国における最大の流出油事故となった。
|
1990年(平2)
1月26日
17:50頃
|
マリタイム・ガーデニア号座礁
|
京都府経ヶ岬付近
|
リベリア、貨物船、2,027総トン
|
重油916KL
|
経ヶ岬沖を空船で山口県笠戸向け航行中、北よりの季節風により圧流され暗岩に底触、舵脱落後浸水し、航行不能となった後陸岸に座礁、船体が2つに分断し燃料油のほとんどが流出した。
海上では、船舶により処理剤、航行攪拌により油処理。陸上では、京都府・福井県魚連の作業員による人海戦術で油の回収にあたった。回収油は水分約60%を含む高粘度のムースで、汚染範囲は京都府網野町から福井県三方町までに至った。
|
1991年(平3)
1月19日
|
ペルシャ湾原油流出事故
|
ペルシャ湾
|
|
|
平成3年1月17日イラク軍と多国籍軍の湾岸戦争勃発により、イラク軍によるクウェートの石油施設破壊及びイラク・タンカーの破投により、1月19日には、クウェートより原油の流出が始まった。
流出原油の汚染状況(サウジアラビア東部海岸)は、ジュベイルの北、アブアル島付近からカフジまでの直線約200kmの海岸線は全て原油で汚染。(流出量不明、妥当な量としては150〜400万バーレル程度?)
|
1992年(平4)
9月20日
04:15
|
ナガサキ・スピリット号衝突
|
マラッカ海峡
|
船籍:リベリア、タンカー、95,987DWT
|
原油13,000トン
|
ブルネイからオーストラリア向け航行中、Ocean
Blessing号(22,600DWT、パナマ、コンテナ船)と衝突し爆発炎上しながら原油を流出したが、軽質油と熱帯気候による急速な蒸発と拡散、消失のため被害は軽微であった。
|
1992年(平4)
12月3日
|
エージアン・シー号座礁
|
スペイン北西岸ラ・コルーニャ湾口
|
ギリシャ、タンカー、114,036DWT
|
原油73,000トン
|
ラ・コルーニャ港に入港しようとしたA号が、荒天のために操船を誤って湾口で座礁し、落雷により爆発炎上し大量の油が流出した。
油汚染は5日後には海岸の100km及び沿岸の20kmに及んだが、流出油の大半は炎上消失及び拡散、蒸発したため被害は予想外に小さかった。
|
1993年(平5)
1月5日
|
ブレア号座礁
|
シェットランド島南西沖(英国)
|
リベリア、タンカー、89,730DWT
|
原油85,000トン
|
ノルウェーからカナダに航行中主機関が故障、強風により岩礁に乗り揚げ、積荷の原油が流出した。
荒天下のため防除作業は難航し、流出油は事故3日目には現場から西方14マイル、東方6マイルまで50mの幅で漂流したが、荒天により拡散等が促進され、被害規模は比較的小さかった。
|
1993年(平5)
1月15日
20:06
|
昭和シェルアスファルトタンクからアスファルト流出
|
釧路港
|
|
アスファルト246KL
|
釧路沖地震により陸上設置のアスファルトタンクに亀裂を生じ、アスファルトが流出、その一部が排水口に流れ込み海上に流出した。
海面に浮遊するアスファルトについては、クレーン船を使用し粉砕のうえ、作業船により揚収、また海底に沈降したアスファルトについては、漁具(はっしゃく)を使用して揚収、合計約200トンを回収した。
|
1993年(平5)
1月21日
|
マースク・ナビゲータ号衝突
|
スマトラ島北西アンダマン海(インドネシア)
|
シンガポール、タンカー、255,312DWT
|
原油25,000トン
|
Sanko
Honour号(96,545DWT、シンガポール、タンカー、空船)が左舷中央部に衝突し、火災が発生するとともに、原油を流出しながら漂流した。
|
1993年(平5)
5月31日
06:10
|
泰光丸衝突
|
福島県塩屋埼灯台南東4.6km
|
タンカー、699総トン
|
C重油521KL
|
石巻向け航行中、第3健翔丸(499総トン、貨物船)と衝突し、右舷の破口から積荷の重油が流出した。6月3日早朝には、小名浜港を中心として、南北約20kmにわたり陸岸に漂着した。海上浮流油については、作業船及び船主手配のヘリを使用した処理剤散布による処理。漂着油については、福島県魚連・茨城県魚連等による人海戦術及び重機を使用した機械力利用による回収作業等を実施した。
|
1994年(平6)
3月13日
|
ナシア号衝突
|
トルコ、ボスポラス海峡
|
|
原油30,000KL
|
|
1994年(平6)
3月31日
02:00頃
|
セキ号衝突
|
アラビア半島フジャイラ沖合15km(UAE)
|
パナマ、タンカー、293,238M/T
|
約15,000トン
|
バイヌナ号(57,000M/T、UAE船籍、タンカー)が停泊中のセキ号に衝突、セキ号の左舷側NO1タンクに孔が明き積載していた原油が流出。セキ号はイランの石油積み出し基地カーグ島で原油を満載した後、日本に向かう途中だった。
|
1994年(平6)
10月17日
01:45頃
|
豊孝丸衝突
|
和歌山県海南港北防波堤灯台西1.6海里
|
タンカー、2,960総トン
|
ラビブレンド原油570KL
|
錨泊中、第5照宝丸(タンカー)が衝突し、右舷タンクの破口から積荷の原油が流出した。洋上でオイルフェンスを早期に展張、この中に溜まった大量の油をクレーン船バケットによるつかみ取り等で回収することができた。また、陸岸漂着油については、自衛隊員等による人海戦術により6日間でほぼ、全量の油を回収することができた。
|
1994年(平6)
11月26日
17:05頃
|
千葉県袖ヶ浦のC重油流出
|
|
|
|
富士石油(株)12万トン桟橋に係留中のタンカーにC重油を積込中、荷役パイプ接続部3ヵ所からC重油が噴出し、その一部が海上に流出。噴出量9KL、うち2KLが海上に流出。流出油は全量回収され、漁業被害等はでていない。
|
1995年(平7)
7月23日
15:58
|
シー・プリンス号座礁
|
麗水港沖所里島南西海岸(韓国)
|
キプロス、タンカー、275,469DWT、船主荷主ホナム石油
|
アラビア原油96,000KL
|
S号は、台風3号接近のため麗水港の製油所における荷揚げを中止し、麗水港外へ避難中に所里島へ圧流され座礁、その後機関室の火災・爆発及び貨物タンクの破損により燃料油・原油が流出した。流出油は、事故後7日で事故現場から50マイル付近まで到達し甚大な漁業被害をもたらした。
|
1996年(平8)
2月15日
|
シーエンプレス号座礁
|
ミルフォード・ヘブン入口(英国ウェールズ州)
|
リベリア、タンカー、133,855DWT
|
原油50,000〜70,000トン
|
ミルフォード・ヘブンのTEXACOターミナル向け航行中座礁し、その後、荒天と海潮流のため離礁、座礁を繰り返し、貨物油5万トン〜7万トンが流出したものと推定されている。
|
1996年(平8)
11月28日
|
貨物船「東友(とんよう)」座礁
|
奥尻島群来岬沖南東数百メートル
|
中国、貨物船、3,905総トン
|
C重油100KL
|
中国船籍の貨物船「東友」は11月26日13:00頃、空船で苫小牧港をナホトカに向けて出港、津軽海峡を出てまもなくエンジントラブルのため漂流。巡視船が一時ロープで捕捉したが時化のため切れて、11月28日奥尻島群来岬沖で座礁、以後搭載燃料油の流出が続いた。(C重油130KL、A重油18KL、潤滑油4KL)既に流出した油は島群来岬沿岸に漂着しており、油汚染は海岸線500mに広がっている。
|
1997年(平9)
1月2日
02:51
|
ロシア船籍タンカー「ナホトカ号」油流出事故
|
島根県隠岐島北北東106km付近
|
ロシア、タンカー、1970年建造(船齢27)、19,684DWT
|
C重油約6,240KL
|
上海からペトロパブロフスクに向けC重油19,000KLを積載し、日本海を航行中船首部分が折損、船尾部分が沈没、船首部分は潮流と風に流されながら1月7日14時30分、福井県三国町安東岬付近の岩盤に着底。(当時の気象・海象:北西の風20m/s波浪6m、うねり4m以上)
|
1997年(平9)
4月3日
21:00
|
韓国タンカー(OSUNG
NO.3)沈没
|
対馬沖西方約65km(韓国領海内)
|
韓国、タンカー、786GT
|
|
韓国タンカーOSUNG
NO.3がC重油1,700KLを積載し、ウルサンからプサンに向け航行中、対馬沖西方約65km(韓国領海内)で座礁、同日23時25分沈没した。1タンク(186KL)から油が流出した。(乗員9名は全て救助済み)現場は、北西〜南西の風16〜18m、波浪3〜4m。韓国海洋警察庁が行っている油防除措置は、荒天のため間もなく中止。
4月9日昼頃、対馬西海岸子茂田(こもだ)浜の海岸に油が漂着したのが確認された。長さ300m(浜の約1/2)に渡り、黒色の油塊が海草、ゴミに混じって波状に漂着。大きさは、米粒の半分大程度で、比較的柔らかい。比較的密に点在している。 4月14日 海上保安庁は、関係各方面への要請を解除。
|
1997年(平9)
7月2日
10:20頃
|
ダイヤモンドグレース号油流出事故
|
横浜市中区本牧埠頭より約6kmの中の瀬航路付近
|
パナマ、タンカー、258,000DWT
|
ウムシャイフ原油1,550KL
|
日本郵船渇^航の「ダイヤモンドグレース号」、(1994年8月建造、積載物は原油305,000KL、荷主は三菱石油梶jが、UAEから三菱石油川崎工場向けの原油を積載し、東京湾中の瀬航路を航行中、船底が接触し座礁・漏油。
|
1997年(平9)
10月15日
現地時間
21:00
日本時間
22:00
|
シンガポール海峡タンカー衝突による油流出
|
シンガポール沖セバロック島の南約5kmの公海上
|
|
HSC重油28,463トン
|
10月15日21:00(現地時間)、シンガポール海峡で次の2隻のタンカーが衝突。EVOIKOSの3つのタンクが破損し油流出。MPA(Maritime
and Port Authority of Singapore)は10月16日、午前には流出量を3,000〜4,000トンと発表。その後同日、18:30に流出量を25,000トンと発表した。
(1)タイ船籍 ORAPIN GLOBAL
129,702GT、空船で東から 西向きに航行途中。
(2)キプロス船籍 EVOIKOS 75,428GT、HSC重油120,000トンを積載し、アラブ首長国連邦よりシンガポール向けに航行途中。
11月16日シンガポール政府は、流出油防除作業の終息を宣言した。
|
1998年(平10)
1月6日
夕刻
|
アラブ首長国連邦(UAE)における油濁事故
|
アジュマン首長国領海とシャルジャ首長国とのボーダー付近、沖合約9km。
|
船籍・船主などは正式には不明、バージ船、10,000DWT
|
重油約4,000トン
|
1月6日夕刻(現地時間)、バージ船(船籍、船主、荷主等未確認)が、UAEのアジュマン沖9kmで浸水沈没。
バージ船は、10,000トン程度の中間燃料油(intermediate
fuel oil)及びガソリンを積載、流出量は少なくとも3,000トン以上。バージ船には依然半分以上の積荷が残っており、1時間に1トン程度の流出が続いているが、処理剤の散布が続けられ、まだ本格的な防除作業に入っていない模様である。1月9日現在、油はアジュマン、シャルジャ海岸約18kmを汚染。
|
1999年(平11)
11月23日
11時30分頃
|
豊晴丸衝突
|
徳山港晴海埠頭沖合
|
日本、タンカー、199総トン
|
C重油約100KL
|
タンカー豊晴丸がCOPILICO号と衝突。衝突により豊晴丸は転覆し、船体は転覆したまま近くの晴海岸壁に船首を南にして漂着した。
この事故で甲板に破口を生じ、積荷のC重油の一部が流出。
|
1999年(平11)
12月12日
現地時間
7時00分頃
|
エリカ号沈没
|
フランス沖
|
船齢24年、36,000DWT
|
重油約11,000トンが瞬時に流出
|
NO2重質重油31,000トンを積載し、リボルノに向けダンケルクを出航。荒天により船体が真っ二つに折れ沈没、積荷の重油が流出した。(乗組員26人は無事救助された。)
400kmの海岸線に油が漂着、3月までに約145,000KLを回収。沈没した2つの船体内には約20,000トンの油が残っており、まだ油が漏出していることを考えると、十分な警戒が必要。
|
2000年(平12)
1月24日
現地時間
10時00分頃
|
アラブ首長国連邦(UAE)における油濁事故
|
アラブ首長国連邦のザイード港の北東13km付近
|
ホンジュラス、タンカー、1,200DWTトン、船齢40年(本来は河川航行用)
|
重油約200トン
|
ソマリア向け重油約1,000トンを積んだタンカーが沈没し、約200トンの積荷重油が流出。
|
2000年(平12)
10月3日
現地時間
午前6時頃 |
シンガポールセントーサ
島南方付近(インドネシ
ア領海)タンカー座礁 |
シンガポールセントーサ島8km南方BatuBerhanti
Beacon付近(インドネシ
ア領海) |
パナマ船籍のタンカ
ーNatuna Sea(51,095GT約 90,O00DWT) |
Nile
Brend原油7,OOOトンが流出。 |
パナマ船籍のタンカ
ーが座礁、Nile Brend原油7,OOOトンが流出 |
2002年(平14)
10月1日
午後6時頃 |
ハルヨーロッパ座礁・火災炎上
写真参照 |
伊豆大島波浮港の東約500Mの海岸で座礁 |
バハマ船籍 自動車運搬船 「Hual Europe」(56,835トン) |
1,300KLの燃料用C重油が搭載されていたが、ほとんどは抜き取りされていた。 |
ハルヨーロッパは台風21号により10月1日伊豆大島で座礁。同船には4000台の車が積載されていた。また、船内には1,300KLの燃料用C重油が搭載されていたが抜き取
られた。
座礁から約2ヵ月後の 11月26日突然火災炎上。 |
2002年(平14)
10月6日
現地朝 |
ランブール号爆発炎上 |
イエメン南部のアデン湾で6日、爆発、炎上 |
フランス籍原油タンカー(約29万9000DWT) |
爆発で開いた大き
な穴から大量の原油が流出した模様。 |
同タンカーは約40万バレルの原油を積載しており、爆発で開いた大きな穴から大量の原油が流出した模様。
テロ行為による爆発炎上との見方もある。 |
2002年(平14)
11月16日
|
プレスティージ号沈没
写真参照 |
スペイン北西部ガリシア地方沖で暴風雨に会い遭難 |
バハマ船籍の石油タンカー「プレスティージ号(42,820DWT)」 |
77,000トンの燃料油搭載。
沈没時に約1万トン以上が流出。 |
スペイン北西部ガリシア地方沖で13日に遭難したバハマ船籍の石油タンカー「プレスティージ号」が、77,000トンの燃料油を積んだまま、19日沖合いで真っ二つに折れ、沈没。深刻な汚染被害が懸念されている。 |